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2016.06.20 雑誌記事:世界が求める芸術文化 引き続き神戸から発信を 大森正夫(神戸佳族 vol.61)


2016.06.20

神戸佳族 2016年7/8月号 vol.61

世界が求める芸術文化 引き続き神戸から発信を 大森正夫

神戸佳族1607:08表紙  神戸佳族160708

日本は世界の未来 引き続き神戸から文化発信を

京都嵯峨芸術大学大学院教授 神戸ビエンナーレアーティスティックディレクター 大森正夫

芸術文化による街の活性化を目指し、2007年から神戸港などを舞台に隔年で開催してきた「神戸ビエンナーレ」。初回から企画・運営に携わる大森正夫さんにこれまでを振り返ってもらい、芸術文化に対する考えなどを話していただきました。

―2005年の準備委員会の立ち上げから振り返っていかがですか。

神戸ビエンナーレを語る上で欠かせない3つの特徴をお話しします。1つ目が開催のタイミングです。

2005年に吉田泰巳さんから「神戸で芸術祭をやるので手伝ってほしい」と声を掛けられた時、奇跡的なタイミングを感じました。震災から10年の節目でもあったのですが、当時は世界が日本のマンガやアニメなどのサブカルチャーだけでなく日本文化全般に関心が高まりつつある時期でした。芸術祭の最高峰とされる国際音楽祭や映画祭などを開催するヴェネチアビエンナーレの2004年の国際建築展の日本館の展示テーマに「おたく」が取り上げられ、「侘・寂」とともに「萌え」やアキバが紹介されるなど、日本の大衆文化が世界的に関心を高めていました。日本政府がクールジャパン戦略を謳うずいぶん前の話なので、違和感ある先取り施策でしたが、日本の先進的文化を発信するのに最適な神戸で、新たなスタイルの芸術祭を催せれば、日本とともに「神戸の文化力はすごい」と世界に知らしめることができると思いました。

2つ目が、総合プロデューサーに華道家の吉田泰巳さんが起用された点です。日本文化を代表しながらも欧米思考に偏重している美術の世界では認識が低いいけばなの先生が改革的な芸術祭をリードするというのは象徴的な意味もあると感じました。

­―プログラムを現代アートに特化しなかったことも特徴ですね。

3つ目がそれです。神戸ビエンナーレは「国際ビエンナーレ協会」にも加盟し、日本を代表する芸術祭の一つになっていますが、日本文化の先進多様性を代表する〝神戸らしさ〟を何より大切にしていましたので、プログラムは現代アートに限らず、生活文化に根付いたさまざまな芸術領域を取り上げ多くの方に参加いただきました。

公募展では従来のアートシーンでは取り上げられない植物を素材とした「グリーンアート」や神戸の周辺環境を生かした「しつらいアート」、世界初の国際コンペティションにした「コミックイラスト」や「創作玩具」など、新たなアート領域も次々と打ち出しました。

―プログラムを豊富にしたことに違和感を持つ人もいなかったように思います。

まさしく神戸のブランド力と多様な文化力が持つ〝神戸らしさ〟がそう感じさせたのでしょう。僕は京都と神戸が日本に欠かせない都市だと思っています。京都は歴史を重んじる余り、新しいものを出しづらい都市性があります。その対極が先取性に富み、常に新しいものが生まれる潜在力を持った神戸です。ファッション性に優れた生活文化の多くが神戸発祥であり、そういった歴史的背景を持つ街だからこそ、新たな文化を生み出すキャパシティーに誰もが期待し、人気があるのです。

―芸術関係者の反応はいかがでしたか。

公募形式やジャパンコンテンツを大幅に取り上げたことや海外作品より市民活動を重視したことなどから、国内での権威主義的な方々からの評判は思わしくありませんでしたが、若い方々からは非常に評判が良く「他の芸術祭より断然面白い」との声を多く聞きましたし、国際会議での評価・関心は高くなっていたと思います。僕自身は、神戸ならではの文化事業として歴史の中で評価されるものになったという自負はあります。

プレイベントでシンポジウムを開いた時、国際ビエンナーレ協会会長が、「回を重ねるごとに、これが本来の芸術祭の在り方だと気付かされた。いつかこのスタイルが主流になるかもしれない」とおっしゃいました。芸術という特殊な世界に長くいると、時に本質が見えなくなってしまうのかもしれません。

―残念ながら、5回展を区切りに終了が決まりました。

そもそも10年以上震災復興を言い続けていると震災都市・神戸のイメージが強くなる懸念を抱き、オシャレな街という神戸ブランドの復興と芸術文化による街の活性化を目指しましたので、その役割は一定果たせたのではないかと思っています。

心残りは、神戸ビエンナーレで花咲き活躍されている多くのアーティストや国内外で強い関係を築いた人や組織との連携や支援が途絶えることと、これからチャレンジしようとしていた多くの若手作家の行き場をなくしてしまうことです。神戸ビエンナーレは他の芸術祭との比較を超えて類例がないイベントになっていましたから、参加を楽しみにしていたさまざまな作家やリピーターには、とても申し訳なく思っています。

神戸ビエンナーレは先取性と多様性に富んだ神戸らしい芸術文化を発信するとともに、世界の誰もが楽しめる先進のコンテンツの紹介の場でもありました。僕は世界が求める芸術文化を日本は持っており、その発信源として神戸以上の街はないと思っています。また何かの形で神戸の芸術文化の振興に携わることができればうれしいです。